扉の先の部屋は思っていたよりかなり広い。幅20m以上、奥行30m以上はありそうだ。
「入って直ぐにボスが出てきませんでしたね…
仕方ないので探索と同じ隊列で進みましょう。何か変化があった時点で直ぐ停止してください。」
少し戸惑ったような穂香に僕と美桜は無言で頷いて靜流の背中についていく。
先頭の秋鷹さんと千燁が部屋の中程に達すると奥に見える階段付近に大きな黒い靄が現れる。
それを視認した僕たちは足を止めて影の動きを注視するが…10秒、20秒経っても変化を見せない。
「もっと近づかないと実体化しないようです。注意しながら近づきましょう。」
穂香も相当緊張しているようで、少し声が震えている。
「待ちなさい。そんな状態ではまともに動けないでしょう。
深呼吸して少し緊張をほぐしなさい。特に千燁、肩に力が入り過ぎです。」
落ち着いた靜流の声で前衛3人が足を止めて、顔を見合わせている。
「靜流、私にも緊張が見えましたか?」
「何を言ってるんですか?
秋鷹さんが緊張とかありえないでしょう…どんな状況になったら緊張するんですか?」
「そうですね、どんな状況でしょう?……う~ん………」
槍を床に突き立て腕を組んで天井を見上げている。
「あっ…あぁ!凄く緊張したことを思い出しました。」
「緊張したことがあったんですね…」
「結婚前にまだ処女だった妻の服を脱がせる時ですね…
あの時は心臓が口から飛び出るかと思いました。」
「……そんなこと聞きたくありませんでした。無駄な想像してしまったじゃないですか…」
懐かしそうな秋鷹さんと、うんざりした様子の靜流。
「プライベートルームで隼人さまが初めて私の服を脱がせようとした時も緊張されていましたね。」
悪戯っぽい笑顔で僕を覗き込む美桜。
「美桜、そんなことk」
「拙の時は緊張してもらえませんでした!どういうことですか?」
かなりの大音量で抗議されているけど…
「いや、本当に…ここで話すことじゃないよね?」
「私の時も緊張していた感じではありませんでしたね?」
「靜流まで…」
「その話は後で聞きましょう。緊張はほぐれましたよね?
先に進みましょうか、ボスさんも待ちくたびれているかもしれませんよ?」
「美桜、その話はここでお仕舞だよ。後でもしないから。」
「行きましょう。我主、後ほど詳しくお聞きします。」
黒い靄にゆっくりと近づいていく………
あと10m程になると収縮が始まり、大きな武器を持った2m近い人型になっていく。靄がくっきり人型になる頃、その周りに10体ほどのゴブリンが何もない空間から沸き出してくる。
『【巨木の洞低層エリア ボス戦:リーダーゴブリン】を開始します。』
「取り巻きが微妙に散らばっていますね。」
ぱっと対処が浮かばないのか穂香からの指示が出ない。
「千燁、私に続いて数が少ない左側からボスに接近しなさい。取り巻きは私が対処します。」
「穂香は一旦、右側のゴブリンの対処をしなさい。」
秋鷹さんと靜流が指示を出すのと同時に4人が動き出す。
「「はい!」」
秋鷹さんが一突きでゴブリンを仕留めた横をすり抜けながら千燁が右に、左に軽やかなステップを踏むように舞い、こちらに一礼したように見えた。
そして反転して走り抜けた後には両断された2体のゴブリンだった物体が転がっている。
突き出した槍を引き、無造作に横薙された槍の穂先は緑色の首をを落とす。その手応えだけで確信しているのか、結果を一瞥することなく穂香を支援するために秋鷹さんは走り出す。
錆が浮き上がる剣を盾で受け、振り回される手斧をメイスで弾く。空振りで体勢を崩した1体の縺れた足を払い、転倒させる。穂香は自分を取り囲むモンスター達の様子を窺い、間合いを測る。
僕たちの3mくらい前で左手に槍を握り、仁王立ちで戦いの全貌を見据える靜流の背中は頼もしく、まるで
「仁王様のようですね…」
美桜のつぶやきが聞こえた。
「仁王様は流石に……弁慶のよう、くらいにしてあげないと」
「私も女です。頼もしく思ってくださるのは嬉しいですが、流石にそれは傷付きます。」
背を向けたままの靜流の抗議が聞こえる。
「巴御前とか井伊直虎とか、他に例えようがあると思うのですが……水滸伝なら扈三娘や瓊英といった女傑も居ますよ。」
「ごめんね、僕は日本史を履修してなかったんだよ………」
嘘だけど…とっさに良い言い訳が思いつかなかった。
「そのくらい靜流が頼もしいのです。」
「主様は謝罪の気持ちがお有りなら、閨で誠意を見せてくださいね。」
「ぇ………。」
美桜の方を見ると苦笑いで頷いている。
「うん、分かったよ。今夜でも、明日でも…靜流の都合の良い時に来て。」
「ふふっ…楽しみにしていますね。」
「隼人さま、攻撃しないのですか?」
「うん、穂香が敵を倒す動きをしていない気がするんだ。だから、静観しよう。」
「主様、良い判断です。が、穂香は意図を説明しなさい!秋鷹さんも手を出せずに困っています。」
穂香も6体ものゴブリンを余裕を持って相手にしている。
「初期の取り巻きのすべて、もしくは過半数を倒してしまった場合、リポップする可能性が高いのです。」
話しながらでも余裕があるのか…
「現状、余裕を持って相手にできていて、6体すべてのHPも良い感じに削っていますので、取り巻きは現状維持が理想です。」
秋鷹さんも構えを解き、傍観モードに入ってしまったようだ。
「規定時間でリポップする場合もありますので、兆候がありましたら教えてください。」
千燁は左に右に、スカートをはためかせながらボスモンスターが振り回す大きな中華包丁のような大剣を躱し続ける。千燁だけを見ているなら、ダンスの練習をしているようにも感じる。
「え〜っと…拙はこれを倒してしまって良いのですよね?」
緊張感の欠片もない問いに
「勿論です。さっさと倒してしまいなさい。」
靜流は責めるのではなく、どちらかといえば呆れがちに言い放つ。
「では、参ります。」
振り上げられた大剣を見上げ、ピクリとも動かなくなった千燁に凶刃が振り下ろされる。
理不尽だ。
武器を握る手が切り飛ばされ、床を踏みしめる脚を断ち切られ、そして首が落ちる………
◇
積み重ねた研鑽と経験の前では多少のレベルやステータスのアドバンテージなど何の意味もなさなかった。
小さなメイドが僅かに踏み込みスッと右手を上げる。
白い軌跡が大剣を握っている武骨な手を切り飛ばす。
そこから一歩踏み込み、振り返りながら右手を大きく一回転。
小さなメイドを両断するために踏み込んだはずの緑色の太い脚は白く輝いた弧によって容易く断ち切られる。
最後はつまらなそうに振り下ろされた刃にリーダーゴブリンの首が落とされた………
それと同時に残っていた取り巻きは幻のように消えていった。
『レベルがあがりました。ステータスポイント1とスキルポイント1を獲得しました。』
『【巨木の洞低層エリア ボス戦:リーダーゴブリン】が討伐されました。本エリアの攻略完了は7パーティー目です。
中継地点が解放されました。』
理不尽だ。
このゲームでおそらく最初ボスは、その巨体と異様な武器で、多くの参加者に恐怖の象徴として記憶に植え付けられるはずだった。もし、今のを制作者が見ていたなら何を思うだろう?
◇
「千燁、何故さっさと倒さなかったのですか?」
少し苛立った雰囲気で靜流が問い質す。
「皆様が何やらお話されていましたし、待った方が良いのかと判断しました。」
何が悪かったのか分からずキョトンとした顔で答える。
「余裕はあったようですが、万が一ということもあります。
貴女が戦闘不能となり離脱してしまった場合の影響を考えなさい。」
「はい、分かりました。今後は問答無用で斬り伏せます。しかし、」
「『しかし』何ですか?」
靜流の語気が荒くなる。
「あのような雑な攻撃、雑な足運びでは万が一も起こり得ません。」
「『雑』ですか?」
「はい。とても『雑』でした。次の攻防など一切考慮されていない『雑』な動きでした。」
僕があれの目の前に居たとしたらどうだろう?
…あの巨体に異様な武器を振り回される恐怖で、何もできずに戦闘不能になっていただろう。
「拙の経験上、人…で良いのですかね?人型がギリギリ攻撃可能な位置取りをしていました。それに決定的に『速さ』が足りていませんでしたから、余裕で躱すことが出来ると判断しました。」
「……そうですか。私も先程、穂香と主様に教えられましたが、ここはゲームの世界です。」
「はい。」
「ゲームの世界の理不尽があると理解しなさい。」
「…はい?」
千燁は意味が解らず首を傾げる。
「人型であっても、私たちと同じように関節の可動域に制限があると思ってはなりません。場合によっては見えない関節があるかもしれません。腕が伸びる可能性も考慮に入れなさい。」
「!…覚えました。見た目で判断してはならない、信じてはいけないということですね。」
千燁が目を見開き、頭上に『!』が浮かんだような反応を見せる。
それにしても靜流の理解度、解像度が凄まじい。
「一先ず、進みましょう。システムアナウンスで中継地点の解放が告知されましたから、そこまで行きましょう。」
リーダーゴブリンが倒された位置には大量のコインと一振りの剣が転がっていた。
◇
階段を上って行った先には片隅に水晶玉が浮かび、反対側には宝箱が置かれた部屋だった。
『【巨木の洞 第1中継地点】に入室しました。この部屋はモンスターが侵入不可能な安全地帯です。
また、街の待合室間と赤い枠の扉で繋がっており、次層の攻略完了までいつでも使用可能です。』
アナウンスにあった【赤い枠の扉】は見た記憶がない。ひょっとしたら僕たちがこの部屋に到達したことで作成されたのかもしれない。
「皆さま、レベルが上がった分のポイントを使用してステータスとスキルを取得してください。」
僕は今まで通り魔法攻撃力を強化することを告げてポイントを使用した。
「あそこにある宝箱はどうする?開けても良い物なのかな?」
「システムアナウンスで安全地帯と宣言されていますから、開けて大丈夫でしょう。ボーナスアイテムだと思います。」
「ボスを倒した報酬ってコインと剣があったよね?」
「あれはボスのドロップアイテムで、こちらはエリア踏破ボーナスといったところでしょう。私が確認します。」
「うん、穂香にお願いするね。」
宝箱に向かう穂香、少しお疲れなのか座り込む秋鷹さんと、僕の方に寄ってくる美桜と千燁。靜流は周囲の壁を入念に見て回っている。
「この後はどうする?システム的なレベリングの可能時間はあるんだろうけど、戻った方が良いかな?」
「時間的には2時間経っていないと思いますが、少し歩き疲れました。森の中や慣れないダンジョンの中を歩き続けたせいでしょうか?」
スッと横に立った美桜の手を握ると優しい微笑みが返ってくる。
「この先を少しだけ確認しておきましょう。モンスターに遭遇できれば次回の対処が楽になります。」
秋鷹さんは言葉と共に腰を上げる。
「ちょっと待ってください。宝箱の中身を分けましょう。」
穂香が取り出していたアイテムは大量のコインとポーション、それと綺麗な緑色の球だった。
「コインは私が預かりますが、ポーションは1人2個ずつ分けます。この球なんですが、少し変です。」
「変とは何ですか?具体的な説明がなくては誰も何も判断できません。」
このゲーム内では靜流が穂香と千燁にいつもの数倍厳しい気がする…
「あ、はい。普通のゲームには読めない文字や記号がアイテム名に使用されることはないのですが、これは一部の文字が読めないのです。」
穂香がアイテムを僕たちに見せると『春闖�の卵』となっていた。
「そうですか…アイテムの効果はどうなのですか?」
「『戦闘不能になったメンバーを30%の確率でその場で復帰させる。(復帰時は残りHPが50%)ただしHPが0になってから10秒以内に使用しないと効果は発揮されない。』と記載されています。」
「問題なく読めるのですね。」
「はい。」
「アイテム名が読めなくなる理由は想像できますか?」
「ゲーム内のバグ、文字化けか、設定ミス、でしょうか…」
「虫…ですか?」
「靜流、バグは虫ではなくて、エラーって意味だよ。」
「なるほど…用語なんですね。」
「多分、アイテム名に読めない文字がある理由とか、意味を考えても分からないと思うよ。」
「そうですか…そうですね。作った側の意図は私たちには分かりませんしね。」
「旦那様、フォローありがとうございます。
この回復アイテムは靜流に持ってもらうのが良いと思うのですが、如何ですか?」
「僕も靜流が持っているのが良いと思う。」
「分かりました。」
「これはショートカットに入れておいてください。咄嗟にアイテムストレージを開くことが難しい場面もあるかもしれません。」
「そうですね。穂香、良いアドバイスです。」
「では、行きましょうか。少しだけ確認して今日は戻りましょう。」
槍を担いで秋鷹さんは歩き出した。
◇
『【ダンジョン:南の森~巨木の洞~ 中層エリア】の攻略を開始します。制限時間は現時刻から2時間です。
制限時間内にボスを倒すと次エリアの攻略が可能となり、中継地点(セーブポイント)が解放されます。』
「中継地点までの往復を最長で30分、往路は15分を目安に引き返しましょう。」
靜流は美桜の様子を見て時間を決めたようだ。
「見た目はそれほど変わりませんね。」
「そうですね。」
先頭を進む秋鷹さんと千燁は左右への警戒と同時に壁面をチラチラと見ている。
「天井のタイルが少し増えていませんか?」
美桜に言われて改めて見るとカラフルな点が増えている気がする。
「言われれば、そんな気がする。」
「モンスターは増えている感じはしませんね。」
「ただ、今までのフロアより荒れているというか、不穏な感じが増しているよね。」
「より慎重に進みましょう。」
いくつか部屋と思われる空間にも入ったけど大きな変化は見つけられず、モンスターとの遭遇もゴブリンと1回だけ、目安の15分が経過してほとんど収穫もなく中継地点に戻って来た。そして街で美桜と僕の防具を1個ずつ、全員分の解毒ポーションを1本ずつ購入してこの日のプレイを終了した。
◇
現実世界に戻って来た僕たちの端末には『チーム戦 第1回:7月8日16時開始。15時50分には【A World for Numbers】にログインしていください』と通知が入っていた。
「あのゲームでチーム戦って何をするんだろう?」
「オーソドックスなところではフラッグ戦かPvP、後はタイムアタックでしょうか。」
「また、分からない用語が出てきましたね…」
靜流はため息混じりに穂香の話に耳を傾ける。
「えっと、フラッグ戦というのは拠点に設置された敵フラッグを奪取するか、自分のフラッグを守り抜けば勝ち。PvPはプレイヤーバーサスプレイヤーの略、要は対人戦です。あとタイムアタックはそのままです、目標モンスターを早く倒した方が勝ちとなります。」
「陣取り合戦か殲滅戦ということですね。」
「千燁、随分と物騒な言葉だね…」
「認識は合っています。」
リビングで紅茶を飲みながら靜流の手作りクッキーをつまみながら話しているのだけど、
秋鷹さんだけは『日記は後ほど書きます。見回りをしてきます。」と、通常業務に戻っていった。
「ゲームをプレイして2日だけど、あのゲームで晃嗣様は僕たちに何をしたいのか分からないよ。どうなったら気が晴れるのだろうか?」
「まだ、分かりませんね……
あのモンスターに遭遇して恐怖に震える私たちを見たかったとか、でしょうか?」
美桜も見当がつかないようだ。
「私たちは万全を期して臨むだけです。美桜様と主様をお守りいたしますので、ご安心ください。」
「ありがとう、靜流。でも、僕と美桜は体力をつけるべきだと実感したよ。」
「はい、そうですね。仮想世界の中でも2時間ほど歩き続けると疲れます。」
「現実の体力がどう影響するか分からないけど、やらないよりは良いと思うし、現実では無駄にならないしね。と、言うことで明日から2人で少し走ろうか?」
「はい、ご一緒します。」
良い笑顔だ。
「それに加えて僕は週に1回だけでも九純の家で父と兄に頼んで稽古をつけて貰ってくるよ。」
「主様、それはお止しになった方が良いと思います。」
「何故かな?」
「付け焼刃の剣術は反って主様が危険に晒される可能性が高まります。
身に着けた技は使いたくなるものです。」
「うん、そこは十分に分かっているつもりだよ。僕に剣術の才能はない。」
「では何故ですか?」
「今の僕はほぼ何もできずに棒立ちだ。危険が迫っても何もできないか、逃げ惑うだけだ。」
「はい。」
「だから受ける、捌く、逃げる、格好悪くても良いんだ、防御の仕方を教えて貰う。
靜流や千燁が助けに来てくれるまでの時間を稼ぐ術を身に着けることが目的だよ。」
「それでしたら、私たちが稽古のお相手をします。」
「うん、それもお願いしたいけど、まずは父に相談する。
晃嗣様の行い、ゲームの運営に関して九純家にできることはないだろうけど、僕たちの現状は説明しておきたいし最悪の場合、千燁だけでも逃がしたい。」
「拙は逃げません。我主と美桜さまを置いて逃げるなどありえません。」
「千燁は僕がメイド兼、美桜の護衛役として父に頼んだ。だから、最悪の場合は白代に返す。」
「承知しました。最悪の場合は千燁だけは逃がします。」
「千燁は九護に深く関わる必要はありませんよ。」
美桜と靜流は僕を見て頷いてくれる。
「拙は逃げません。絶対に、何があっても、です。」
「うん………千燁、最悪の場合だけだよ。そんな事にはならない、させない。」
「千燁、その最悪の状況にならない為に貴女が必要です。今まで通りに、いえ、今まで以上に精進してください。」
「はい、一層励みます!」
千燁のことは父に相談しておこう。
美桜は聞かなくても絶対に逃げないことが分かっている。それに逃げる場所もない……

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