僕は新居に荷物を運び込みながら、その広さに呆れ返っていた。前の家も広いと思っていたけど、これほどの部屋数、広さが必要なのだろうか? しかも、用途不明で未だに工事中で立ち入りが出来ない区画まである。
「えっと、美桜、僕に割り当てられた部屋が広すぎるんだけど…本当に良いのかな?」
「勿論です。隼人さまは勉強部屋、寝室以外にもリラックススペースや蔵書の保管スペースが必要ですよね。」
それにしても4部屋も占有して良いのだろうか?
「私も寝室と勉強部屋、クローゼットといただいていますから、気にする必要はありませんよ。」
「主様は何も気にせず、受け入れてください。私ですら2部屋あるのです。」
「拙も2部屋いただいています。」
「じゃあ、遠慮なく使わせてもらうね。」
前の家から持ち込んだ家具、家電は一切なし、すべて用意されていたし、僕たちの住居だけでどれだけの費用をかけるのか…九護の財力はどれ程なのか想像もつかない。
「明日から追加でメイドが1人、十六原穂香さんが来てくれることになっているのですが、私は面識がありません。靜流はどうですか?」
「穂香は私の従妹です。」
「それなら問題は……問題はありませんか?」
「何を言い淀んだのですか?」
「何でしょうね?…私にも分かりません。」
「高等学校を卒業したばかりですが、問題ありません。4年前の私と同等とはいかないでしょうが、それなりに優秀な筈です。」
「分かりました…穂香さんについては靜流に任せます。」
「はい、お任せください。」
広すぎる部屋で大きすぎるベッドに寝転がって天井をぼーっと見る。今日は引っ越しの片付けと、明日からの準備があるから靜流も、千燁も来ない。
美桜の家庭教師を初めて5年、靜流が妾になって3年、千燁が来てからも3年か…そして、美桜と結婚、夫婦になるまで後1年。
『隼人さまに好きだと言って頂けるように努力すれば良い、それだけです。靜流、そうでしょう?』
『美桜様なら容易いことです。』
向けられる恋慕の情に絆されたのか、勉強や弓道に打ち込み自身を磨き続ける姿に魅かれたのか…美桜は他の男に渡したくないと思う対象になっていた。
◇
帰宅してまだ見慣れない玄関ドアを開けて、靴を脱ごうとすると見慣れないメイドが立っている。
「旦那様、おかえりさないませ。」
「ただいま。穂香さんだね、今日からよろしくお願いしますね。」
「はい、十六原穂香と申します。本日、着任いたしました。よろしくお願い申し上げます。旦那様、私に『さん』など、敬称は不要ですので、呼び捨てにしてください。」
容姿は靜流に似ているけど、纏っている空気感が違い過ぎる。薄い刃物の上を歩くような危うさを感じる。そんなことを思いながらリビングを覗くと靜流が居た。
「主様、おかえりさない。」
「うん、ただいま。靜流、すまないけど、軽食とお茶を用意して貰っても良いかな?」
「はい、用意いたしますので、少々お待ちください。」
「荷物を置いて来るから、急がなくて良いよ。」
「はい、では、タイミングはすーぱーメイドにお任せで良いですね。」
「うん、任せるよ。」
僕の後ろをついて来る形になっていた穂香がフリーズしているのが見えた。
「あの、旦那様…よろしいでしょうか?」
「どうしたの?」
「靜流…あのメイドの態度は改めなくて良いのでしょうか?」
「うん、別に改める必要はないと思うよ。」
「そう…ですか………?」
リビングに戻って腰掛けると靜流が丁度そのタイミングでサンドイッチとコーヒーを出してくれる。
「ありがとう。」
手を伸ばすと向かいに靜流が腰を下ろす。
「主様、私も小腹が空きました。いただいてよろしいですか?」
「もちろん、良いよ。」
サンドイッチの皿をテーブルの中程に押しやる。
「いただきます。」
靜流が手を伸ばした瞬間、後ろからトレーで頭を叩かれる。
「痛っ…」
「メイドの癖に!メイド長だと言った癖に何をしているんですか!?」
両手を腰に当て怒気を発する穂香が靜流の背後に立っていた。
「何って、小腹が空いたのでサンドイッチを食べようとしていました。」
「業務中に何をしようとしているんですか!貴女はメイドですよね?」
「主様の許可はいただいています。」
「そういうことではありません!メイドがこのような…旦那様、申し訳ございません。」
声を震わせ深々と頭を下げる穂香に僕と靜流は呆気にとられる。
「…穂香、頭を上げて。君が謝る必要なんてないでしょ?」
「その通りです、穂香。何を謝罪しているのですか?」
靜流は改めてサンドイッチを手に取って齧り始める。
「あ…あ…」
言葉を失い、うっすらと涙を浮かべる穂香を他所に靜流はサンドイッチを食べ続ける。
「旦那様、この……この不良品を、今直ぐ…解雇、追い出してください!」
「大きな声が聞こえましたけど、どうしたのですか?」
美桜が怪訝な顔でリビングを覗き込む。
「奥様、この出来損ないを即刻解雇して追い出してください。十六の恥です。」
「人を指差さないでください。」
穂香の手を叩き落とす靜流。
「美味しそうなサンドイッチですね。私もいただきたいです。」
「少々、お待ちください。追加と紅茶を用意してきます。」
「あ、あの……」
スッと立ち上がってキッチンへ消えていく靜流を穂香は呆然と見送る。
「穂香も食べませんか?3時ですし、お腹空いてませんか?」
「あ、いえ、私は業務中ですので結構です。お心遣いに感謝いたします。」
僕たちの様子に動揺する穂香。
「家ではそんな型通りに、堅苦しく気を張らなくて良いですよ。」
「しかし、メイドにはメイドの職務と矜持があるのです。」
「まあ、そうかもしれないけど、この家ではそこまで気を張らなくて良いよ。でも、九護の館に行った時は『きっちり』『きっかり』メイドをして貰うけどね。」
「穂香、少しずつで良いので、家のやり方に慣れてくださいね。」
「…はい。奥様、旦那様、畏まりました。」
「おやつを食べたら、今日の家庭教師分の勉強会をしようか。」
「はい、隼人さま。」
この短時間で僕たちの、この家のやり方が伝わったなら良いんだけど…
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